わんこのアレルギー検査

この夏、軽い皮膚病になったので動物病院で犬のアレルギー検査
をおこないました。
検査料金は高額ですが、調べておくと何が原因か、ということが
特定できます。

検査結果は、意外なものでした。
食べ物の中では、米の数値が高く、ドックフードにほとんどはい
っていました。

やはり、病院で指示されていたアレルギーフードへ変更すること
になりました。
この療養フード、わが家の犬はよく食べるので太りすぎてしまい
、減量用に同じメーカーのフードを食べて減量には成功しました
が皮膚は軽いダメージを受けたようです。

アレルギー検査費用はそれなりにかかりますが、根本的な原因を
把握しておけばフードなどで悩む必要がありません。
また、獣医さんは病気の原因を特定しやすくなり、犬の健康を保
持するためには最良の方法でしょうか。
来年は、健康診断をすることになるでしょう。

私はハウスダストが高いのですが、マギーはほとんど大丈夫でし
た。
雑草などは、人間と同じようにアレルギーがでていましたので、
田んぼの散歩は控えめにというところでしょう。

とにかく人間も犬も元気が一番。。。

今回だけということはない

結論から言えば、ENEOS元会長の不祥事は、今回だけではな
かったはずです。
このタイプの人間は、少なからず常習です。
まわりの人達からなんらかのうわさがたっていたと思います。
私もこの手の人間を少しみてきましたが、だいたい常習のようで
す。

企業活動は人間活動の歴史です。
このようなタイプの人間が出世するということは、企業体質(人
間体質)に問題があるのではないでしょうか。
これまで明るみにでなかっただけでしょう。

役職というのは、仕事の遂行のために一時的に預かっているもで
す。
その役職の責任の重さに対して報酬や賃金が決定されています。
とくに日本企業では、ダブルスタンダードになっていることは、
しばしばあります。
コンプライアンスと言いながら、自分は権力を利用して恥ずべき
ことをしているなど、ダブルスタンダードの最たるものです。

プライム上場企業のトップからしてこれでは、わが国が衰退して
いく姿をリアルタイムでみているようなものでしょうか。
まぁ、これも香川照之現象の一環とすれば、わが国の高学歴社会
にはかなり問題があると、考えていたほうがよいでしょう。
極端な会社中心主義に問題がありそうです。

品行方正とは言えない自分自身をみつめながら、戒めのために書
いているようなものですが。。。

人間関係で決まる人事

今般の汚職の構造をみていると人間関係が大きく影響しているよ
に思えるのは、私だけでしょうか。
人間関係で決まる人事が悪いことではありません。
問題は、その人間関係の当事者の資質です。

オリンピックで起きた汚職における人間関係をみると、そもそも
問題がある人物が多いというのが、その本質でしょう。

企業においても人事に人間関係がかかわらない人事などほとんど
ないのではないでしょうか。
要は、人間関係ではなく、ひとりひとりの人間の生き方です。
公私をわきまえ、毅然と仕事ができるような人間であればよいだ
けです。

利権をむさぼるような人間関係には、そのようなタイプの人間が
集まるということです。

私たちの社会は自由に多くの選択が可能です。
人間を選択するのも自分自身です。
このような社会をどのように生きていくか、ということは簡単で
はありませんが、そこでも多くの学びと実行が必要になります。
だからこそ、人生は人間観をみる劇場だとすれば、これほど面白
い場所はありません。

会社を伸ばす人、自分を誇示する人

創業者には、二つのタイプがあります。
ひとつは、会社を伸ばすタイプ。
二つ目は、自分を誇示するタイプ。
およそですが、この二つのタイプにわかれるように思えます。

会社を伸ばすタイプは、会社へ執着しないタイプでしょうか。
いわゆる経営を第三者へ任せることができる経営者です。
人間はいずれ死を迎えます。
自分が永遠でない前提で経営を他人に任せることができるタイ
プ。

他方、経営を他人に任せることができないタイプは、自分を誇
示する傾向が強いようにみえます。
当然、他人がおこなう経営を信用しません。
常に、自分中心に会社をまわします。
業績が良いうちはこれでよいのでしょうが、業績が下落しだす
と、その後は大変なことになるでしょう。
また、経営者が亡くなった場合も、同様に経営的には業績が下
落するように思えます。

実際、過去このタイプだった企業は、その後、成長性云々が話
題にもなりません。

鉄は熱いうちに打てではありませんが、はやくから第三者の経
営者を育成しておくことが次の時代を築くと考えています。
また、可能な限り自社の社員から昇格させたほうがよいと考え
ています。
転職組でもある年数の社内経験があればよいのでしょうが、日
本企業のようにシステム化されていない経営では、外部からき
た人間がすぐに社長をやるということは、甚だむずかしいよう
に感じます。

今、ふたつのタイプの経営者をみることができます。
企業経営の歴史は、そこにあるのです。

ガバナンスが効かないわけ

結論は、人間がおこなうことだからです。
この問題は、究極のむずかしさがあります。
どれが正しく、どれが悪いことなのかという基準が必要だからで
す。

人間が体得しなければならないことですが、基準がない時代、あ
るいはロールモデルがない時代は、そう簡単に体得できません。
教育(広義の意味で)が必要ですが、戦後は、戦前おこなった日
本人の行為を全否定からスタートしています。
簡単に人の思想信条に立ち入ることができない社会体制でしょう
か。

そのような中で多くの人たちが生活してきた社会は、根無し草的
社会とでもいえそうです。
企業や政治をリードする人たちからして軸がないのですから、国
民に軸をもてといって無理ではないでしょうか。
ロールモデルがないというのが、日本人の実態かもわかりません。

戦前のおこないから脱却できなまま経済だけでやり繰りしてきた
つけがまわってきた。
徐々に国力は衰退していくしかない状態のようにみえるのは、私
だけでしょうか。
国力の衰退の原因は、長い時間軸でみれば、戦後から続いてきた
思想がない、哲学がないという日本人自身の問題といえそうです。

リーダーが先憂後楽ではなく、先楽後憂では、日本人が変われる
わけがありません。

働き方改革なんだけど

今日、働き方改革は相当進んでいるように思えますが、その本質
は労働強化なのかもわかりません。
生産性を上げるということは、一人一人が残業を減らしながら今
までの売上を維持するか、あるいはこれまで以上に売上を伸ばす
ことが求められるでしょう。

要は、企業側からすれば、総額人件費を下げながら、売上を伸ば
すための施策が働き方改革のはずです。
労働時間が減った分、売上も下がりますよ、では企業はもちませ
ん。

働き方改革の中身は、労働者の時間当たりの生産性を追求するこ
とになります。
とくに営業職や事務職には厳しいものになるでしょう。
所定内労働時間、いわゆる雇用契約で定められた労働者が働くべ
き時間、例えば、A社では9:00~18:00(8時間労働/休憩1時
間)といった具合です。
できる限り所定内労働で成果をあげることが、競争優位になりま
す。

残業規制が厳しくなっており、企業側は売上が減らなければ人件
費を削減したいので、働き方改革はウェルカムです。
要は、売上(利益)と総額人件費のバランスです。

その点、工場などの労働時間は、生産ラインの稼働時間で決まり
ますから、うまい棒ではありませんが、売行き好調時は労働者へ
過剰な労働を強いることになります。

人を採用していたら総額人件費が上昇し、利益が思いのほか確保
できません。
また、不況時における人余りで人件費が経営に影響を与えるため、
できる限り好調時でも既存社員を労働基準法違反となるまで働か
せたいという誘惑にかられます。
もっとも、ここには根本的な問題が横たわっていますが、これは、
またの機会に。。。

営業職や事務職と工場などの生産現場の人件費の考え方の違いを
理解しておくことも重要でしょうか。
企業というところは、儲けたいという動機に溢れていますから、
その動機がいろいろなドラマを生むことになります。

うまい棒には罪はないのです。。。

不思議の国

世界には、先進国、発展途上国、日本、アルゼンチンがあると言
われているようです。
日本は、特別な国なのでしょうか。

隣国もかなり変わった国家形態ですが、我が国も、違った意味で
世界から変わった国としてみられているようです。
その原因のひとつは、言語にあるような気がします。
日本の文化は、やはり日本語という言葉とともに育成されてきま
したが、今だ英語圏のような英語で言語のやりとりが、なかなか
できません。
それだけ、民族の独自性が強い???

なにも先進国の範疇にいる必要はありませんが、徐々に国力が衰
えてきているのも事実です。
いろいろな指標が、我が国の世界の中におけるポジション低下を
示しています。

米国のような他民族国家でない以上、人口減少による経済成長の
低下から抜け出すことはできません。
それも自分では、わからないように静かに低下していきますから、
気が付けば、想像を絶する状況になる可能性がありそうです。

いずれにしても世界の情勢が突如として変化する時代。
なにが起きても不思議ではありませんが、そんな中、我が国は不
思議の国の状態といえそうです。

多くの問題がメディアを賑わせていますが、我が国は、民主制の
国家制度を採用しているのですから、すべては私たち国民が責任
を負うことを忘れてはならないでしょう。

不思議の国にしているのも、私たち一人ひとりですが。。。

どこかで見ている風景?

ピーターの法則の中に、次の一説があります。

「無能レベルに達してしまった上司の場合は、組織の自己都合と
いう尺度で、部下が有能かどうかを判断します。つまり、組織の
規則や儀礼や様式を支える行動こそが有能のあかしとされるわけ
です。迅速であること、丁寧であること、年長者に礼儀正しく接
すること、社内文書を適切に処理できることなどが高く評価され
ます。つまり、無能な上司は部下をインプット (取り入れたもの )
で評価するのです」

本来、組織というところは、人が行う成果で判断されなければな
ないのですが、現状の組織は、前例踏襲や形だけの管理だけをす
れば、仕事だと、思っているところがあるように感じます。

無能といわれている私が、既存の経営層を無能というには、かな
り問題がありますが、それでもメディアなどの報道を読んでみて
、無能社会になっているように思うのは、私だけでしょうか。

無能が無能を作るとは、言いえて妙です。
では、仕事は誰がやっているか。

本では、「まだ、無能レベルに達していない者によって行われて
いる」と。。。

人間を理解するのはむずかしい

私が、ある企業でいっしょに仕事をした部下を他社へ呼んだこと
がありました。
いわゆる部下を別な企業に呼び寄せたということですが。。。

この企業では人事を担当していました。
本人は、はじめて人事をやることになりましたが、急成長してい
る企業であり、いろいろなことをやるにはチャンスだったのでは
ないでしょうか。

はじめてやる仕事ですからわからいことがあるのは当たり前であ
り、覚えていけばよいだけです。
また、自分なりに創意工夫をすればよいと、私は考えています。

この企業の成長スピードははやく、人事部門の担当から総務部門
も担当することになりました。
部下は、元々総務部門出身ですから、これまで多くの経験があり
ます。
しかし、なかなか仕事がうまくできないのです。
私も驚きましたが、まわりの人たちから苦情がくるのです。

私は、部下のことを理解していると思っていましたが、まったく
理解できていなかったのです。
このことがあって、人が人を理解するのは幻想だ、と考えるよう
になりました。

よく考えればわかることですが、妻や息子たちでさへ理解するの
はむずかしいものです。
まして他人を理解するなど無理なのです。

このことに気づいてから気持ちも落ち着きましたが、一時は、不
眠になるほどでした。
今、人とは理解できないものと考えて、むりしない範囲で付き合
っています。
その人にあったポジションをみつけてあげるのも上司の責任です。
その後、離れて仕事をすることになりましたが、むしろ部下にと
ってよかったと思います。

人間とは、自分も含めて理解することがむずかしい生き物かもわ
かりません。
自分ですら、なかなかわからないのですから。。。

背骨がない人が増えてきたか

人間には、背骨がありますが、その背骨とは人間の生き方ともい
えます。
私も偉そうなことは言えませんが。。。
でも、ちょっと言ってみたくなる様子が散見される今日この頃で
しょうか。
辞書には、背骨とは(比喩的に)物事を成り立たせている考え方、
バックボーン、とあります。

私もたいしたバックボーンはありませんが、しいて言えば我儘な
ところを支えているなにかがバックボーンでしょうね。
なかなか治りませんから。。。

近頃は、税金で飯食っている人間にバークボーンがない人が多い
ようで気になります。
あえて言えば、お金がバックボーンでしょうか。
そんな人間が多くなったと思うのは、私だけでしょうか。

バックボーンがあれば、自分の言葉で語り、その後、自分の態度、
行動に現れるのではないでしょうか。
言葉さへ語れない人もいます。

このような呆れた社会になればなるほど人心は、国を動かす人や
会社を動かす人たちから離れていくでしょう。
すでに離れているのかもわかりません。

私のようになかば開き直って生きているタイプは、あまり気にな
りませんが、まじめに生きている人ほど思い詰めていくのではな
いでしょうか。

まず、語れ。
そして態度、行動ですが。。。
そうい自分もなにかあったときに、そのような態度、行動がとれ
るようにドキュメントで自分をけん制しています。
そうでもしておかないと人間は弱いものです。
私もすぐに言い訳し、逃避しますので。。。