組織のストレスに弱い

昔から私は、ひとりで行動することも多く、大
勢の人たちとうまくやっていけるほうではなか
ったような気がします。
どういうわけか、私は、自分の心の中で人の動
きなどが、不思議なくらいによくみえるようで
した。
その影響か、自分の心の中に世の中をみる軸が
自然とできあがったようです。

会社へ入ると、この傾向は益々強まり社会と会
社(自分が所属する組織)、そして自分の行動
を、自分の心の中でいろいろと判断しながらす
るようになりました。
このような自分の尺度を使いながら、組織が正
しくない方向へいこうとすると、私にはストレ
スとなって帰ってきます。

私は自分の軸に忠実に行動しますから、自分の
中のストレスが増大し耐えきれなくなると、企
業を退職するようにしていました。
もっとも、私は経営者へも相応の主張をします
ので、私が自分を解放する前に、首だといわる
こともありました。

それでも組織的なストレスに弱いので、首の方
が、妻にも申し開きができ自分の中にあるスト
レスから解放されて、とてもハッピーだったよ
うに思います。
家庭人としては落第ですが、もがきながら、次
の仕事を探したものです。

人は、ひとりひとり違います。

自分にあった人生をどのように生きるかは、最
終的には、自分にしかわかりません。
厳しいようですが、それが人生ではないでしょ
うか。

活力がある企業ない企業

企業には、活力があるところとないところがあります。
その実態をつかむのは、なかなかむずかしいものです。
理由は、管理能力が優れていても優れていなくとも、
活力がある企業があり、他方、その逆、活力がない企
業が存在するからです。

活力があるところに共通する要素は、社員が自由闊達
に仕事をしていることでしょうか。
管理能力が低い企業でも社員の能力が高く、身近な実
務に関していえば、他社を圧倒しているようでした。
組織の管理能力が高ければ、社員の能力の高さとの相
乗効果で、さらにレベルが高い活動になっていくよう
です。

「活力」とは、辞書によれば、「人間や組織が活発に
活動するための力」となっています。

一方、活力がない企業は、組織の管理能力が高くとも
社員がバラバラで一体感がなく、仕事のレベルが向上
していきません。
いろいろな施策をやろうという意欲が低く、高収益を
支えている仕組みに安住している状態とでもいえるで
しょうか。
とにかく活力がありません。

企業というところは、人間がつくるところだけにその
状況をつくっているのは、また、まぎれもなく人間そ
のものです。
特に、活力がない企業では、創業者に限らず、経営ト
ップに課題がありそうです。
しかし、社員に活力がなくとも高収益企業にいたって
は、その経営を批判することのむずかしさは並大抵で
はありません。

さて、答えはひとつではないでしょう。
みなさんも考えてみてください。