人とは基礎が必要な生き物

私は何回も書いているように小学生時代の成績はクラス最下位で
した。
当然ですが、勉強をしていませんから基礎ができていません。
文章の書き方や計算、あるいは本を読んでいなかったので読解力
なども不得手でしょうか。
やはり基礎ができている人と私のようにできていない人間では、
年齢があがるにつれ、その差は明確になります。
中学3年生から勉強をゲームのようにしていた私と小学生時代に
基礎を学んでいる人の差でもあります。

仕事でも同じですが、勉強と違いビジネスの基礎を学ぶことは、
そうそう簡単ではありません。
理由は、ビジネスは多くの要素で成り立っているからです。
そのうえ、結果として人生論となるからでしょうか。

私のように運動神経がよくない人間は、ゴルフがうまくならない
のでプロにゴルフの基礎を学びました。
30代でみっちり学びましたので、今でも体がゴルフスイングや
コースマネジメントを覚えています。

ビジネスも同様にビジネスで成果を出している人から学ぶのが一
番ですが、気を付けておかなければならないのは、スポーツのプ
ロと違い認定された資格がないことです。
ビジネスの場合、ビジネスができると思われる人が、自分で作っ
てきたその人なりのビジネスの流儀ということになります。

だからこそ、自分に合ったビジネスの基礎が学べるかどうかは、
学ぶべき対象となる人によって差がでてきます。
ゴルフとて同じですが。。。
私が福岡時代にならったプロと東京へ異動してきてから習ったプ
ロでは、同じゴルフの基礎でもかなりの違いがありました。
ビジネスの基礎を学ぶ場合も同様に、人によってまったく違うケ
ースがでてくると思います。

基礎をどのような人から学ぶかは、小学生時代から大切なことか
もわかりません。
それは、人(先生)によって自らが習得できる要素が変わるから
です。

その意味では、やはりよい指導者に出会うことでしょうか。
仕事においても人生においてもよい人との出会いによって、自ら
が覚醒されていくようです。
ある企業の経営者が話してました。
自分は、やんちゃな仕事ばかりやっていたが、ある人との出会い
から変わった、と。
生き方の基礎を学んだ、とも話していました。
だからこそ、今、順調に業績を伸ばしているのだ、と私は考えて
います。

私より一回り下の年齢でしたが、信念と行動力があり、そして学
ぶことに貪欲で、部下の話にもよく耳を傾け、権限移譲できる経
営者でした。
社員はあまり知らいと思いますが、経営者としての責任の取り方
が厳格でした。

能力、行動、運

私の人生は、結論からすれば「運」が60%、「行動」30%、
「能力」10%といってよいでしょう。
しばしば成功の条件と言われる「運鈍根」は、好運に恵まれるこ
と、才走らずこつこつ努めること、および根気よいこと、とあり
ますが、私は才に走ることができなほど成績が悪いタイプですし、
根気がよいとも言えません。

ひとつ言えることは、こうと決めたら突き進む行動が、そこそこ
できることくらいでしょうか。
これくらいしか思い当たることがありません。

「運」の中では、人の運がとくによかったように思います。
勉強ができないわりに学生時代は先生に支えてもらい、会社へ入
れば上司や先輩に恵まれたこと、部下ができれば部下に助けられ
たことで、なんとかここまでやってこれたような気がします。

それでも長くひとつの会社の人間関係をベースにした仕事より、
自分が学んだことを活かして、なにか新しく挑戦しようとする企
業でやっていきたいというエネルギーが強いタイプです。
当然、失敗がつきものですが、それでも新たな人間関係をつくり、
よりよい会社機能を構築することが好きです。
人間関係は不得手なのですが、こと仕事に関しては人とのコミュ
ニケーションを取りながら多くの人たちを巻き込んで仕事をして
いきます。

自分で考えている範囲の仕事が終われば、また一からやりたい。
これが一番楽しいのでしょう。
人間関係も解散です。
苦労することが喜びに変わるタイプかもわかりません。
人間を巻き込んでいるのですが、新たな会社機能を構築すること
が私のモチベーションなのかもわかりません。

このような点で、多くの失敗ばかりでしたが、そのなかでいっし
ょに仕事をしてきた人たちとの出会いは、本当によい出会いが多
かったと思います。
私の人生は、とくに「人との出会いの運」と言えるようです。

人間は、一人ひとりそれぞれ違います。
自分が得意なことを活かしていける方向へ、自分自身と対話しな
が生きていくことが必要なのかもわかりません。
無理をすることもありません。

人との縁

私がここまでやってこれたのは、なんといっても人との縁でしょ
うか。
学生時代、会社勤め時代、少なからず私を支えてくれた人たちの
おかげで、今があると思います。
人との縁は、誠に不思議なものです。

縁は、自ら行動することで生まれます。
人との関係が苦手な私ですらそうですから、行動できない人には
縁は近づいてくれないのかもわかりません。

企業(経営者)との出会いを求めて行動しましたが、実際に良縁
に出会うことは少ないです。
それでも自分で行動しておくことは、人生において大切なことだ、
と私は考えています。
私はそれほど多くの行動はしませんでしたが、それでも行動しな
ければ良縁に恵まれることもなかったでしょう。

人生は、自分らしく行動するという努力を積み重ねることかもわ
かりません。

突き刺さるくらい痛い目にあう

先日、所要で横浜に行く機会があり、いつものように近くの高速
入口から道路へ入ると、いきなり渋滞にはまってしまいました。
次の出口ででればよかったのですが、たいしたことなかろう、と
考えたのが運の尽き。

わずか10㎞をなんと1時間半。
呆然として車内に取り残された感じでしょうか。
さらに車が動かない恐怖。
それにしてもトラックなどを運転して仕事をしている人たちは、
毎日、なんらかの渋滞にはまっているのでしょうが、本当に大変
なことだと思います。

生産性も上がらず、人間の精神的な負担は増大し、事故処理をす
る人たちにも多くの影響を与えています。
誰しもが、少しだけ余裕をもって活動できれば、とふと考えてし
まうのは、私だけでしょうか。

普段、道路情報をみてでかけるのですが、この日は、情報を確認
しないで高速道路へいってしまいました。
これまで一度もこのような経験をしたことがなかったのですが、
例えば、渋滞を確認すれば300㎞のところを500㎞かけてでかける
くらいの渋滞、混雑嫌い、今回本当に痛い目にあいました。

すぐにスマホに渋滞情報アプリをいれ、暇なときにみてみると、
同じ場所でしばしば事故があることがわかりました。
人生でも同じですが、一度や二度、自分に突き刺さるくらい痛い
目にあっておくことは大事なことのようです。

人間はよくできたもので、体が覚えてくれます。
次は失敗しないでしょう。
でも、新たな失敗が続くのが人間なのかもわかりません

心を軽くしておく

私はできるだけで心を軽くしておくようにしています。
理由は、心が重く感じられるときは、自分自身がうまくいってい
ないときだからです。
心が重たくなる大きな要素は、なんといっても人間関係でしょう
か。
このことが、私の人間関係を控えめにさせているようです。

心が軽い状態は、体の調子もよくいろいろなことがうまくいくよ
うな気がします。
だからでしょうか。
多くの人出や混雑する場所が苦手なのは、心が軽やかにならない
からでしょう。

世の中には、心をマルチタスクで動かせる人がいるようですが、
私の心はだいたいシングルタスクでしょうか。
私の不器用さともいえますが。。。

その点、犬との交流は、心が軽やかになる最高の友といってよい
でしょう。
私のようなシングルタスク型の心は、犬との遊びはとても心地よ
いものです。

私は人生をシンプルに生きたいと考えているタイプですから、心
の軽やかさは、もっとも重要なことだ、と考えています。
和顔愛語は、このような生き方にも通じるようです。

本は沢山読んだが?

私は数多くの書籍を読んできましたが、それが自分にどのように
生きているのかはほとんどわかりません。
仕事をしながら疑問に思ったことや感じたことを確認するように
読んでいたように思います。
おそらくですが、無数の書籍から自分の軸になる考え方や行動の
原理原則ができあがっていったようです。

今でも読み続けている本は3冊です。
それ以外の本は読んだだけで終わってしまいました。
それでもその本から自分の中へ入ってきた多くの言葉が、私を
成り立たせているように感じています。

本との付き合いは、仕事や人間関係で悩んでいるときが一番でし
ょうか。
真剣勝負で読むことができるからです。
だからこそ、自らの血肉になるのだと思います。

目の前の書棚には多くの本がありますが、やはり戦友のようなも
ので捨てるには忍びない、といったところです。
この頃は、真剣勝負する機会も少なくなり、本を読むことが少な
くなりました。
時間があれば読み返す3冊の本は、私を根底から支えてくれてい
る岩盤のような存在です。

人それぞれ自分が必要だと思ったときに、よき本との出会いがあ
れば、案外、人生を豊かにしてくれるのかもわかりません。

失言と失態ばかりだったような。。。

辞書によれば、「失言」とは、言うべきではないことを、うっか
り言ってしまうこと、「失態」とは、失敗して体面を失うこと。
また、面目を損なうようなしくじり、だそうです。
私はしばしば失言や失態をしてきましたが、失言は、自分で考
ていることが言葉になるようです。
意識しようがしまいが、日ごろから自分が思っていることは、そ
う簡単に変えることができません。

言葉や行動、あるいは考え方など、その人が生きてきたそのもの
ではないでしょうか。
むしろ、言うべきでないことは、社会的な秩序を学びながら社会性
を踏まえて自分の発言する必要があるなど、相当な訓練(学校や社
会でよくお勉強して)を受けておかなければ容易ではないでしょう。
私のように学校でも社会でもあまりよく勉強できていないタイプに
はなかなかむずかしいことでした。

しかも社会は急速にその秩序を変えようとしている今日、私のよ
うな人間にはかなりの苦労があります。
それでもなんとかやってこれたのは、私のまわりにいた優秀な一
部の先輩や部下たちのおかげです。
一部の年配者を除けば、若い人たちといっしょに仕事をしている
ほうが、よほど本音で楽しく仕事ができました。

私が、そもそも人間関係が苦手なのは、小学生時代の先生との会
話にもありました。
なにか、先生と生徒の関係に不自然さを感じるのです。
先生の言うとおりにする子が良い子。
なんだか、私には気持ちが悪いのです。

そのように感じている自分は、今日まで当時と同じ気持がずっと
続いていますが、社会からみれば失言や失態のオンパレード状態
だったでしょう。
だからこそ、あまり社会とかかわりをもたないのかもわかりませ
ん。
本質は、ただのめんどくさがりやだと、思いますが。。。

面接してやる?

私は多くの企業の面接を受けてきましたが、面接を受けるという
よりは、経営者や経営幹部の面接をするつもりで面接にいってま
した。
面接試験は、入社することが目的ですが入社しても自分の考え方
と違う経営者や経営幹部たちと仕事をすることはむずかしい、と
思っているからです。

当然、面接は本音バリバリでやります。
まさに真剣勝負でした。
相手の表情や帰ってくる言葉から、その人となりがわかってきま
す。
当たり前ですが、私の考え方に合う経営者や経営幹部は、肯定的
なストロークができるようになります。
反対に、見解が違えば、否定的なストロークになります。
もっとも、私の場合、否定的なストロークばかりでしたが。。。

面接試験は、企業側が応募者をみているように思えますが、実は、
応募者側からも面接ができます。
このような機会は大切なのですが、大体、入社するためだけの面
接になっており、その多くは面接迎合型でしょうか。

どの企業へ入社しようと自分自身に合う企業など、どこを探して
もほとんどみつからないでしょう。
そうであれば、少なくとも面接では自分の意思を明確にしておい
たほうが、入社後、仕事に真摯に取り組めます。
他方、面接で迎合しながら入社すれば、こんなはずではなかった、
ということになりそうです。
実際、このような人たちを少なからずみてきました。

要は、何事も自分です。
入社するも、退職するも、仕事に向き合うことも。。。
だからこそ、自分の軸をつくっておくことが必要だ、と私は考え
て行動してきました。

面接試験など、経営者を面接してやるくらいの気持ちでちょうど
よいのではないでしょうか。

わが家はいつもの夏休み

わが家は、リスク管理型人間が多いようで、今年の夏も緊急事態
時同様に出歩くことがありません。
もっとも、休みという休みは動かない人間たちですから。。。

渋滞や混雑をみるだけで精神的によくありません。
コロナの感染数も同様でしょうか。

ワクチン4回打っても行動は、あくまで抑制的です。
それでも感染するリスクがありますので、解熱剤だけは用意して
います。
熱が出たら寝ておくしかないと、決めています。
状況が悪化したら、かかりつけ医師へ連絡し、その後の処置はお
まかせでしょう。
病状の悪化による入院の可能性は、運まかせといったことになり
ますか。
まず、罹患するリスクを減らすことに専念しています。

お盆といえど、もともと出歩かないわが家ですから、家にいるこ
とでストレスになることがありません。
ただただ、いつものお盆休みということです。

余裕や遊び心がなくなる社会

仕事をしていると、妙に余裕がない対応が多いような気がします。
それだけ社会のスピードがはやい、ということでしょうか。
微妙な間が必要な気がしますが、コミュニケーションをとること
がなかなかむずかしいように思えます。
いわゆる、行き違いも多い?
もう少し丁寧なやりとりが必要なのでしょうが、なにかを端折っ
てしまうようなことが見受けれます。

いろいろなことに忙しいのはわかりますが、相手のことを気遣う
余裕もないようです。
また、なにか聞いてもそんなの私は知りません、といったことも
感じられます。
遊び心が必要ですが、ほとんど感じられないことが多くなりまし
た。

私もめんどくさがり屋なので、必要以上に、幅を広げた対応もし
ませんが、どうも遊び心がないつきあいは仕事が面白くなりませ
ん。
まじめな人が多くなったせいでしょうか。

それに比較すると、むかしからいっしょに仕事をしてきた先輩な
どとの会話は遊び心満載でしょうか。
度々話をするわけではありませんが、余裕をもってコミュニケー
ションできます。
いつでもいっしょに仕事ができるような状態かもわかりません。
この時代においても、もう少し余裕、遊び心があってもよいので
はないではいか、と思います。

コロナ社会は、益々、人間がもつ余裕や遊び心を奪ってしまいそ
うですが。。。
本当にやっかいな時代を迎えてしまったようです。
私は外出などを控えていますが、さらに感染力が強いタイプが現
れたようですから、感染は、時間の問題かもわかりません。

少なくとも感染するまでは、余裕や遊び心感じられるような生活
を続けたいものです。
感染しても余裕があれば本物でしょうが、私にそのような胆力が
ないのはわかっていますが。。。