能力、行動、運

私の人生は、結論からすれば「運」が60%、「行動」30%、
「能力」10%といってよいでしょう。
しばしば成功の条件と言われる「運鈍根」は、好運に恵まれるこ
と、才走らずこつこつ努めること、および根気よいこと、とあり
ますが、私は才に走ることができなほど成績が悪いタイプですし、
根気がよいとも言えません。

ひとつ言えることは、こうと決めたら突き進む行動が、そこそこ
できることくらいでしょうか。
これくらいしか思い当たることがありません。

「運」の中では、人の運がとくによかったように思います。
勉強ができないわりに学生時代は先生に支えてもらい、会社へ入
れば上司や先輩に恵まれたこと、部下ができれば部下に助けられ
たことで、なんとかここまでやってこれたような気がします。

それでも長くひとつの会社の人間関係をベースにした仕事より、
自分が学んだことを活かして、なにか新しく挑戦しようとする企
業でやっていきたいというエネルギーが強いタイプです。
当然、失敗がつきものですが、それでも新たな人間関係をつくり、
よりよい会社機能を構築することが好きです。
人間関係は不得手なのですが、こと仕事に関しては人とのコミュ
ニケーションを取りながら多くの人たちを巻き込んで仕事をして
いきます。

自分で考えている範囲の仕事が終われば、また一からやりたい。
これが一番楽しいのでしょう。
人間関係も解散です。
苦労することが喜びに変わるタイプかもわかりません。
人間を巻き込んでいるのですが、新たな会社機能を構築すること
が私のモチベーションなのかもわかりません。

このような点で、多くの失敗ばかりでしたが、そのなかでいっし
ょに仕事をしてきた人たちとの出会いは、本当によい出会いが多
かったと思います。
私の人生は、とくに「人との出会いの運」と言えるようです。

人間は、一人ひとりそれぞれ違います。
自分が得意なことを活かしていける方向へ、自分自身と対話しな
が生きていくことが必要なのかもわかりません。
無理をすることもありません。

本音からもれる現実?

昨今、いろいろな場面で要職にある人たちの発言が問題になって
いますが、本音の中身から今の現実がみえてくることがあるよう
に思えます。

法務省や外務省は、お金に縁がない、といった発言は、その他の
省庁ではお金に縁があるということのようです。
また、番組制作は意図をもって演出している、といった発言は、
テレビ業界の実態を現しているのでしょうか。

このように要職についている人たちが本心を語ることで、世の中
の実態を知ることができます。
合理的でない人間がおこなう行動(発言)は、止めようがありま
せん。

更迭は致し方ないとしても、われわれ国民にとって、このような
本音から世の中の現実を知ることが重要です。
世の中、特に世間に影響力があるところでは、私たちの普通の生
活とかなり違う動きがあるのかもわかりません。

だんだん私たちの生活と乖離していく現実は、世の中が進歩して
いるのか、後退しているのかさへわからなくなってきました。

ピーターの法則が頭をよぎります。
人間は地位の上昇と共に無能力線に近づく。。。

不合理から合理が生まれる瞬間?

仕事の面白さは、不合理な人間が集まり、チームで合理的な方法
考え、成功するまでやりぬいていくことでしょうか。
それでも不合理な人間が主体ですから、多くの失敗が繰り広げら
れます。
それが人間社会でしょう。

不合理な人間の集合ですが、うまくハマると合理的な方法が生ま
れてくるから不思議です。
それでもそのような不思議には、うまくいくためのいくつかの要
素がありました。

職制に関係なくフランクな会話ができる、失敗を許容する、やり
たい人たちが集合する、労働時間とは違う次元で仕事ができる、
予算を確保できる(企業の資金調達がしっかりしている)、それ
ぞれの人間が責任をとれる、というようなことだったでしょうか。

世の中をむつかしく(面白く)しているのは、合理的でない人間
の存在のような。。。

心を軽くしておく

私はできるだけで心を軽くしておくようにしています。
理由は、心が重く感じられるときは、自分自身がうまくいってい
ないときだからです。
心が重たくなる大きな要素は、なんといっても人間関係でしょう
か。
このことが、私の人間関係を控えめにさせているようです。

心が軽い状態は、体の調子もよくいろいろなことがうまくいくよ
うな気がします。
だからでしょうか。
多くの人出や混雑する場所が苦手なのは、心が軽やかにならない
からでしょう。

世の中には、心をマルチタスクで動かせる人がいるようですが、
私の心はだいたいシングルタスクでしょうか。
私の不器用さともいえますが。。。

その点、犬との交流は、心が軽やかになる最高の友といってよい
でしょう。
私のようなシングルタスク型の心は、犬との遊びはとても心地よ
いものです。

私は人生をシンプルに生きたいと考えているタイプですから、心
の軽やかさは、もっとも重要なことだ、と考えています。
和顔愛語は、このような生き方にも通じるようです。

失言と失態ばかりだったような。。。

辞書によれば、「失言」とは、言うべきではないことを、うっか
り言ってしまうこと、「失態」とは、失敗して体面を失うこと。
また、面目を損なうようなしくじり、だそうです。
私はしばしば失言や失態をしてきましたが、失言は、自分で考
ていることが言葉になるようです。
意識しようがしまいが、日ごろから自分が思っていることは、そ
う簡単に変えることができません。

言葉や行動、あるいは考え方など、その人が生きてきたそのもの
ではないでしょうか。
むしろ、言うべきでないことは、社会的な秩序を学びながら社会性
を踏まえて自分の発言する必要があるなど、相当な訓練(学校や社
会でよくお勉強して)を受けておかなければ容易ではないでしょう。
私のように学校でも社会でもあまりよく勉強できていないタイプに
はなかなかむずかしいことでした。

しかも社会は急速にその秩序を変えようとしている今日、私のよ
うな人間にはかなりの苦労があります。
それでもなんとかやってこれたのは、私のまわりにいた優秀な一
部の先輩や部下たちのおかげです。
一部の年配者を除けば、若い人たちといっしょに仕事をしている
ほうが、よほど本音で楽しく仕事ができました。

私が、そもそも人間関係が苦手なのは、小学生時代の先生との会
話にもありました。
なにか、先生と生徒の関係に不自然さを感じるのです。
先生の言うとおりにする子が良い子。
なんだか、私には気持ちが悪いのです。

そのように感じている自分は、今日まで当時と同じ気持がずっと
続いていますが、社会からみれば失言や失態のオンパレード状態
だったでしょう。
だからこそ、あまり社会とかかわりをもたないのかもわかりませ
ん。
本質は、ただのめんどくさがりやだと、思いますが。。。

会計情報ではわからないもの

多くの企業をみてきましたが、会計情報だけではわからないこと
があります。
経営者の資質、従業員の能力(広義)、あるいは取引先や利害関
係者の人的状況、さらに経営に関与する外部の人たち(弁護士、
公認会計士)など、企業経営は経営数字とともに多くの人的要素
で成り立っています。

経営数字がどのように変化していくかは、実は、人的要素次第と
も言えます。
経営とは、人が考えて行動することでしか、お金を生み出さない
からです。

その意味で私は営業時代、人的要素をじっくりと観察してきまし
た。
結果は、経営者の資質が従業員の資質となり、企業経営の成果に
大きく影響するということでした。

やはり、経営者が経営理念をもち的確な指示を出し、適正な方法
で企業活動をおこなうということを従業員教育で徹底している企
業は強い、ということでした。

経営はむずかしくありません。
経営を支えるのは、従業員しかいません。
しかも、優秀な人間ばかりがいるわけではありませんから、その
従業員をしっかりと育成している経営者がいる企業が社会から信
頼を得ているだけではないでしょうか。

今でも、このような企業は成長を続けています。

矛盾との同居

私は人間関係や社会とのかかわりが苦手なほうでしょうか。
仕事の機能を優先していきてきましたから、企業内で相応な軋轢
を起こしてきました。
いわゆる属人的な判断がもっとも嫌いなことです。

そのためか、企業内の人間関係は、とくに私より上の立場の人に
は悪かったと思います。
ずけずけものを言いますからね。
やはり、上の立場の人間はストレートにものをいう人間を嫌った
り、遠ざけたりします。

もっとも、私は、このようなタイプの人間とうまくやろうなどと
は考えておらず、少数の理解者と仕事をすすめていくことになり
ます。
それでも運がよかったのは、比較的どのような企業でも経営者か
ら理解を得られたことです。
社員間に軋轢があっても筋を通していきますから、私を嫌ってい
る方たちの抵抗が相当ありました。
それでも進めるのが私流。

どういうわけか、経営者、あるいは私より立場が下の人たちが理
解してくれて仕事がうまくいくことが多かったように思えます。
人間嫌いなのですが、人間から理解されるという矛盾の中で生き
てきたともいえるでしょうか。
それでも長く付き合ってきた人は極少数です。

人間嫌いなのですが、人間に助けてもらう、という矛盾を抱えて
います。
それは当然です。
社会全体が人間関係を通して活動しているからです。

私のようなタイプがなんとか生きてこれたのは、私を支えてくれ
た人たちが沢山ではありませんが、確実に存在した、ということ
です。
私は、私の矛盾に満ちた会社生活において、このような人たちに
感謝しかありません。

人生には、ある程度矛盾があるものでしょう。
その矛盾を抱えながらも自分らしく生きていくほかない、とも感
じています。
それは、ひとそれぞれに自分を受け入れながら生きていくことに
ほかならないからです。

私は、むずかしく考えるよりは、自分に素直に生きてきただけで
ですが。。。
妻には、言葉がきつく誤解されることが多い、とおしかりを受け
ます。

日本では転職者がうまく機能しない

私は相当多くの転職をしてきましたが、やはり失敗の部類でしょう。
それでも私自身が属人的な付き合が嫌いですから、長く会社勤めし
た人たちと違い、会社における人間関係はほとんどありません。
また、私自身がそのような関係をつくることを避けてきたことがあ
るのかもわかりません。
結果として、私自身は、自分が望む環境を手に入れた、と感じてい
ます。

日本で転職がうまくいかない理由は、人を中心に仕事が動くからで
す。
もっとも、日本以外でも人が仕事を動かすのは同じですが、外資系
に少しだけいて感じたことは、人よりは仕事が中心になっているよ
に思えます。
これはこれで問題もあるのですが。。。
それでも属人的な部分(親分子分的な)は少ないような気がします。

ソニー子会社(当時)時代は、和洋折衷という感じ。
仕事は、あくまで機能中心、仕事が終われば属人的な要素あり、と
いうようなところでしょうか。
仕事の機能を担う部分と人間的な部分のバランスが取れていました。
さらに、内部監査機能が実効性あるものとして存在しており、自分
の立ち位置が明確でした。
それにもともと転職者で作ってきた企業というソニーカルチャーの
ようなところがあり、転職者だからというだけで排除されたりしま
せん。
勿論、仕事の機能を担うことができなければ、相応の人事処遇はあ
りますが。。。

私がみてきた範疇ですが、このようにバランスが取れた企業はどこ
にもありませんでした。
日本社会が、今だ親分子分を背負っている社会ですから、日本企業
とて十分このようなカルチャーがあるのではないか、と推測してい
ます。
転職者にとって能力が発揮できないのは、この国の文化に由来する
日本人の中にある集団依存性にあるのかもわかりません。

日本電産の後継者問題をみるにつけ、この国のオーナー企業系の会
社は、プロパー社員や血縁から後継者を選んだほうがよい気がしま
す。
ソニーでさへ盛田さんの後は、岩間さんで奥さんが盛田家の人です。
その次は、大賀さんです。
盛田さんの親戚(実際は違いますが)のような感じでしょうか。
やはり、後継者が転職組になるまでは、企業の成長と同様、長い時
間軸でみていく必要がありそうです。
人間は、複雑なようで単純な生き物でしょう。

経営者の後継でない転職者は、ソニーのようなカルチャーをもって
いるところを探すことが一番でしょうか。
企業文化は、とても大切な要素ではないか、と私は考えています。

成長する企業には面倒見がよい人がいる

企業が成長するステージをみえていくと、私がみてきた範囲です
が、必ずよき人たちの存在があります。
弁護士、税理士などですが。。。

社会機能としてはありふれたものですが、創業期から長く面倒を
みているのが特徴でしょうか。
とにかく面倒見がよい。
やんちゃ坊主の社長時代から苦楽をともにするとでもいうのでし
ょうか、人柄がすばらしい。
だからこそ、経営者はステージごとに人間として成長していくの
だと思います。

私のような人間嫌いのタイプでも、よく面倒をみてくれます。
それは今も続きます。
その方の紹介で、さらに面倒見がよいかたに巡り会えるという好
循環です。

このような不思議な縁を大切にする経営者だからこそ、企業は成
長を続けるのでしょう。
このような経営者と巡り会えると、私のような人間でもほんとう
に人生が豊かになります。

基礎力をみる

本日、がっちりマンデーでミライスピーカーをはじめユニークな
製品を作る企業を紹介していました。
ミライスピーカーは、元ケンウッドにいた技術者が立ち上げた企
業です。
年齢は70代でしょうか。

なんといっても音響に関する基礎がしっかりとできています。
そのうえに、このスピーカーはできあがっていました。
この辺が若い人たちと少し違うところでしょう。

他方、別の企業では、開発と営業部門を行き来しながら商品をつ
くる企業が紹介されていましたが、こちらは消費者の声を大切に
しながら商品コンセプトをきめて製品を開発していました。

商売の基本は、むずかしくありません。
基本の積み上げと消費者の声をいかに反映できるかです。
でも、これができる人間や企業は非常に少ないと、思われま
す。

だからこそ徹底できる企業は強いのでしょう。