経営管理は最低限の機能でしかない

企業経営は複雑な要素でできあがっていますが、実は、経営管理
だけしていればよいわけではありません。
経営管理は、あくまで企業経営のベース(黒子)になるだけです。
経営管理ができていれば企業が成長発展するわけではありません。
理由は、経営管理は過去の情報だからです。
あるいは、企業経営の骨格を支えている仕組みのひとつでしかあ
りません。
いわば経営における最低限の機能でしょうか。
もっとも、それもできていない企業が多いのが実情でしょう。
だから、問題噴出となります。

企業は経営管理をベースにしながら、企業に集う人間が創造し、
ダイナミックに行動することでしか発展はありません。
経営管理はできていても成長が止まる企業は、人間を中心とした
行動原理が欠如していると想像されます。
企業運営において人間を活かすためにどのような機能を構築する
かがポイントでしょうか。
人間の能力をどのようにして企業活動に活かしていけるのか。
答えは、経営者自ら出していくしかありません。

経営管理は、やろうと思えばどのような企業でも可能です。
経営管理だけで企業の競争優位をつくることはできません。
どこまでも経営管理をベースに人を活かす機能をどのようにつく
るか、という人間の創造力が勝負かもわかりません。

私は人間関係が苦手ですが、こと企業活動では、人間を中心とし
て行動し、考える以外に解はみいだせません。

人とは基礎が必要な生き物

私は何回も書いているように小学生時代の成績はクラス最下位で
した。
当然ですが、勉強をしていませんから基礎ができていません。
文章の書き方や計算、あるいは本を読んでいなかったので読解力
なども不得手でしょうか。
やはり基礎ができている人と私のようにできていない人間では、
年齢があがるにつれ、その差は明確になります。
中学3年生から勉強をゲームのようにしていた私と小学生時代に
基礎を学んでいる人の差でもあります。

仕事でも同じですが、勉強と違いビジネスの基礎を学ぶことは、
そうそう簡単ではありません。
理由は、ビジネスは多くの要素で成り立っているからです。
そのうえ、結果として人生論となるからでしょうか。

私のように運動神経がよくない人間は、ゴルフがうまくならない
のでプロにゴルフの基礎を学びました。
30代でみっちり学びましたので、今でも体がゴルフスイングや
コースマネジメントを覚えています。

ビジネスも同様にビジネスで成果を出している人から学ぶのが一
番ですが、気を付けておかなければならないのは、スポーツのプ
ロと違い認定された資格がないことです。
ビジネスの場合、ビジネスができると思われる人が、自分で作っ
てきたその人なりのビジネスの流儀ということになります。

だからこそ、自分に合ったビジネスの基礎が学べるかどうかは、
学ぶべき対象となる人によって差がでてきます。
ゴルフとて同じですが。。。
私が福岡時代にならったプロと東京へ異動してきてから習ったプ
ロでは、同じゴルフの基礎でもかなりの違いがありました。
ビジネスの基礎を学ぶ場合も同様に、人によってまったく違うケ
ースがでてくると思います。

基礎をどのような人から学ぶかは、小学生時代から大切なことか
もわかりません。
それは、人(先生)によって自らが習得できる要素が変わるから
です。

その意味では、やはりよい指導者に出会うことでしょうか。
仕事においても人生においてもよい人との出会いによって、自ら
が覚醒されていくようです。
ある企業の経営者が話してました。
自分は、やんちゃな仕事ばかりやっていたが、ある人との出会い
から変わった、と。
生き方の基礎を学んだ、とも話していました。
だからこそ、今、順調に業績を伸ばしているのだ、と私は考えて
います。

私より一回り下の年齢でしたが、信念と行動力があり、そして学
ぶことに貪欲で、部下の話にもよく耳を傾け、権限移譲できる経
営者でした。
社員はあまり知らいと思いますが、経営者としての責任の取り方
が厳格でした。

出世が面倒なタイプ

私は出世が面倒だ、と感じるタイプです。
その根源的理由になるものは、小学生時代にみた景色でしょうか。
成績がクラス最下位の私からみると、勉強ができる子は先生に褒
められ、クラスのみんなから注目される存在でした。
私はというと勉強はしないし、褒められることもありません。
その分、自分の時間と空間がもてたようです。
もっとも、時間も空間も遊びばかりなのですが。。。

中学時代も2年生までは、同じようなものだったでしょうか。
中学3年のとき成績があがって先生に褒められるようになりまし
たが、どこか冷めていました。
勉強の成績があがったのは友人のアドバイスのおかげであり、私
自身は遊びの延長のようなものでした。
問題が解けて面白いと、ゲームのようなものでしょうか。

このような経験は、企業へ入社すれば、常に冷めた目でまわりを
みることができました。
営業成績は、中位で目立ったことはしません。
ただ、仕事(営業)が面白くなってしまい企業にある全製品、ほ
とんど売れない製品まで販売したことから上司に褒められました
が、これも遊びの延長。

小学生時代の成績上位者や企業へ入社して営業成績がよかった人
たちが、その後、順調だったかといえば、残念ながらすくなから
ずそうではありませんでした。

私にとって会社における出世は、仕事のための出世、いわゆる会
社機能を構築するための昇進なので機能構築が終われば、さっさ
と辞めていくタイプです。
私にとっての出世とは、その時々で選択した企業における機能構
築のための手段でしかありません。

私は、幼いころに学んだことを大人になってもやっているだけか
もわかりません。
成長していないとも言えますが。。。

企業運営に不変なものはない

随分前からジョブ型人事制度という言葉はありましたが、最近、
また目にするようになったような気がします。
日本の人事制度は、欧米から数年、数十年?遅れて導入されるケ
ースが多いのですが、だいたいコンサルなどの影響を受けながら
制度変更がおこなわれていくようです。

日本らしくひとつの企業が導入すると右に倣え方式でしょうか。
有名企業をターゲットにすれば、日本企業ではどのような制度も、
比較的導入が進みます。

日本型、欧米型という前に企業における制度は、企業自身の課題
に基づいて構築されていくものです。
むしろ、いろいろな制度があるほうが健全ではないでしょうか。
小さな企業と大企業では、その運営方法はまったく違います。
大企業でもかなりの差があるでしょう。

私は欧米型、日本型というようなカテゴリーわけする必要がなく、
企業のおかれた状況に応じて柔軟に制度を作り変えればよい、と
考えています。
その意味では、ソニーは日本型と欧米型を柔軟に取り入れていた
と思われます。
もっとも、企業に在籍する経営者や社員が意識していたかどうか
は別ですが。。。
私が子会社へ在籍していた時代、1990年代は、ソニー本社の人た
ちと気さくに話ができる環境があり、大企業らしくない姿でした。

おそらく東京通信工業時代における井深さんや盛田さんのマネジ
メントが、そのような独自性ある環境を創出した、と考えていま
す。
このような経営環境をつくることは、意識していない分むずかし
いものになるでしょう。
理由は、人間の本質にかかわる部分になるからです。

このような経験は、私にとって貴重なものとなりました。

製造業の在庫

食品や日用品に限ってみれば、東京から少し離れて住んでいる私
には東京都内(品川区や目黒区)でみる商品価格と地元でみる商
品価格に、同じ商品でも大きな価格差があります。
元々ありました、といったほうが正確でしょうか。
やはり生活水準が高い場所では商品価格は高く、私が住む場所で
は商品価格は低いようです。

もちろん生活水準だけではないと思います。
私のメーカー在籍経験でも東京23区が商品価格が一番高く、周辺
部へいくと、安くなっていました。
営業会議でよく議論になりましたが、メーカーの立場からすれば、
生産数量が絶対です。
製品価格を上げると、当然ですが、製品がダブつきます。
製品が倉庫の中にあっても倉庫代は積みあがります。
まして乳製品などはすぐに販売しないと、賞味期限切れになりま
す。

メーカーは、東京都内を避けて周辺部や地方で販売攻勢をかけて
いくことになります。
しかし、私が在籍した企業がそうだったように需要の伸びが期待
できない時代(人口減少や賃金の上昇が少ない)は、大手企業同
士の合併による生産設備の削減や人員削減をおこなう以外に手が
ありません。

近い将来、国内中心の業種では大手企業同士の合併などが、これ
まで以上におこなわれてくるでしょう。
今回のインフレがたちが悪いのは、米国などの金利の上昇で景気
過熱を抑えますから、円安によるわが国大手企業の利益増加は一
時的と捉えられ、企業は、これからはじまる景気後退に備えた対
策、いわゆる内部留保を考えながら経営のかじ取りをすることで
す。

賃金が継続的に上がっていく保証はどこにもありません。
生活者は、物価上昇と賃金上昇が少ない環境の中で生活防衛に走
ります。
国内中心の製造業にとってきわめて厳しい環境が続くということ
です。

国内販売を中心とした大手企業に覚悟がいる時代がきているよう
です。
国内の人口減少と円安による資材高騰、電力やガスなどの値上げ
と経営環境が厳しくなっていることは明白です。

地元では、一度は消えていた有名メーカーの商品が特売でちらほ
らみられるようになってきました。
製造業の弱点は在庫の積み増しです。
これが恒常的に発生すれば、メーカーは、東京などのエリアを避
けて目につきにくいエリアから販売攻勢(値下げ)をかけてきま
す。

日本国内ではこの繰り返しでなんとかやってこれましたが、これ
からの時代は、この繰り返しができないのではないか、と私は考
えています。
当然、国内需要に対応した生産規模や人員配置にしていくという
ことになるでしょう。
それをしなければ利益を生み出せない時代がきているということ
ではないでしょうか。

面接してやる?

私は多くの企業の面接を受けてきましたが、面接を受けるという
よりは、経営者や経営幹部の面接をするつもりで面接にいってま
した。
面接試験は、入社することが目的ですが入社しても自分の考え方
と違う経営者や経営幹部たちと仕事をすることはむずかしい、と
思っているからです。

当然、面接は本音バリバリでやります。
まさに真剣勝負でした。
相手の表情や帰ってくる言葉から、その人となりがわかってきま
す。
当たり前ですが、私の考え方に合う経営者や経営幹部は、肯定的
なストロークができるようになります。
反対に、見解が違えば、否定的なストロークになります。
もっとも、私の場合、否定的なストロークばかりでしたが。。。

面接試験は、企業側が応募者をみているように思えますが、実は、
応募者側からも面接ができます。
このような機会は大切なのですが、大体、入社するためだけの面
接になっており、その多くは面接迎合型でしょうか。

どの企業へ入社しようと自分自身に合う企業など、どこを探して
もほとんどみつからないでしょう。
そうであれば、少なくとも面接では自分の意思を明確にしておい
たほうが、入社後、仕事に真摯に取り組めます。
他方、面接で迎合しながら入社すれば、こんなはずではなかった、
ということになりそうです。
実際、このような人たちを少なからずみてきました。

要は、何事も自分です。
入社するも、退職するも、仕事に向き合うことも。。。
だからこそ、自分の軸をつくっておくことが必要だ、と私は考え
て行動してきました。

面接試験など、経営者を面接してやるくらいの気持ちでちょうど
よいのではないでしょうか。

ガバナンスは機能するか

私が経験した範囲や今日の状況をみれば、コーポレートガバナン
スは有効に機能していない、と考えています。
理由は、経営者に、そもそもその決意がないからです。
いわゆる形式的なもの程度に考えているのでしょう。
しかし、国力が落ちてきているこれからは、形式的なガバナンス
ではなく、独自性あるガバナンスを検討する必要がありそうです。

なぜか、経営を優位に進めていくためです。
方法はいくらでもあります。
ないのは、危機感なくなにも考えない経営者の存在だけでしょう
か。

東証が考えるガバナンスなど、多くの企業ではまともにやるこな
ど考えていなでしょう。
やらない横並びといったところです。

競争優位を構築するなら、自分の頭で考え、独自性あるガバナン
スの仕組みを構築することです。
それこそが、他社を凌駕し競争優位にする源でしょう。
だからこそ、経営に集中し、自社の競争優位を確保できるのです。

むずかしくありません。
少し考えるだけでしょうか。

矛盾との同居

私は人間関係や社会とのかかわりが苦手なほうでしょうか。
仕事の機能を優先していきてきましたから、企業内で相応な軋轢
を起こしてきました。
いわゆる属人的な判断がもっとも嫌いなことです。

そのためか、企業内の人間関係は、とくに私より上の立場の人に
は悪かったと思います。
ずけずけものを言いますからね。
やはり、上の立場の人間はストレートにものをいう人間を嫌った
り、遠ざけたりします。

もっとも、私は、このようなタイプの人間とうまくやろうなどと
は考えておらず、少数の理解者と仕事をすすめていくことになり
ます。
それでも運がよかったのは、比較的どのような企業でも経営者か
ら理解を得られたことです。
社員間に軋轢があっても筋を通していきますから、私を嫌ってい
る方たちの抵抗が相当ありました。
それでも進めるのが私流。

どういうわけか、経営者、あるいは私より立場が下の人たちが理
解してくれて仕事がうまくいくことが多かったように思えます。
人間嫌いなのですが、人間から理解されるという矛盾の中で生き
てきたともいえるでしょうか。
それでも長く付き合ってきた人は極少数です。

人間嫌いなのですが、人間に助けてもらう、という矛盾を抱えて
います。
それは当然です。
社会全体が人間関係を通して活動しているからです。

私のようなタイプがなんとか生きてこれたのは、私を支えてくれ
た人たちが沢山ではありませんが、確実に存在した、ということ
です。
私は、私の矛盾に満ちた会社生活において、このような人たちに
感謝しかありません。

人生には、ある程度矛盾があるものでしょう。
その矛盾を抱えながらも自分らしく生きていくほかない、とも感
じています。
それは、ひとそれぞれに自分を受け入れながら生きていくことに
ほかならないからです。

私は、むずかしく考えるよりは、自分に素直に生きてきただけで
ですが。。。
妻には、言葉がきつく誤解されることが多い、とおしかりを受け
ます。

日本では転職者がうまく機能しない

私は相当多くの転職をしてきましたが、やはり失敗の部類でしょう。
それでも私自身が属人的な付き合が嫌いですから、長く会社勤めし
た人たちと違い、会社における人間関係はほとんどありません。
また、私自身がそのような関係をつくることを避けてきたことがあ
るのかもわかりません。
結果として、私自身は、自分が望む環境を手に入れた、と感じてい
ます。

日本で転職がうまくいかない理由は、人を中心に仕事が動くからで
す。
もっとも、日本以外でも人が仕事を動かすのは同じですが、外資系
に少しだけいて感じたことは、人よりは仕事が中心になっているよ
に思えます。
これはこれで問題もあるのですが。。。
それでも属人的な部分(親分子分的な)は少ないような気がします。

ソニー子会社(当時)時代は、和洋折衷という感じ。
仕事は、あくまで機能中心、仕事が終われば属人的な要素あり、と
いうようなところでしょうか。
仕事の機能を担う部分と人間的な部分のバランスが取れていました。
さらに、内部監査機能が実効性あるものとして存在しており、自分
の立ち位置が明確でした。
それにもともと転職者で作ってきた企業というソニーカルチャーの
ようなところがあり、転職者だからというだけで排除されたりしま
せん。
勿論、仕事の機能を担うことができなければ、相応の人事処遇はあ
りますが。。。

私がみてきた範疇ですが、このようにバランスが取れた企業はどこ
にもありませんでした。
日本社会が、今だ親分子分を背負っている社会ですから、日本企業
とて十分このようなカルチャーがあるのではないか、と推測してい
ます。
転職者にとって能力が発揮できないのは、この国の文化に由来する
日本人の中にある集団依存性にあるのかもわかりません。

日本電産の後継者問題をみるにつけ、この国のオーナー企業系の会
社は、プロパー社員や血縁から後継者を選んだほうがよい気がしま
す。
ソニーでさへ盛田さんの後は、岩間さんで奥さんが盛田家の人です。
その次は、大賀さんです。
盛田さんの親戚(実際は違いますが)のような感じでしょうか。
やはり、後継者が転職組になるまでは、企業の成長と同様、長い時
間軸でみていく必要がありそうです。
人間は、複雑なようで単純な生き物でしょう。

経営者の後継でない転職者は、ソニーのようなカルチャーをもって
いるところを探すことが一番でしょうか。
企業文化は、とても大切な要素ではないか、と私は考えています。

改善提案の種は無数にある

企業に在籍していれば、改善の種は無数にあります。
先ずどのようにして種を探すか。
とくに管理部門には、無数の改善の種が眠っているのではないで
しょうか。
理由は、現場からみた管理部門は改善だらけの部門だからです。

管理部門で改善の種が無数にある理由は、現場がなかなか見えな
い、あるいは理解できていないことです。
現場を経験していない人は、現場の苦労や課題が容易に理解でき
ません。

では、どうするか。
現場からの不満の声を集めることです。
どうしても管理職になると、現場の課題や問題が耳に入りにくく
なります。
そこで部下に現場からのクレームは、大切にためておいてくださ
い、と指示していました。
聞き流したり、無視しないように、必ずメモをとって上司に報告
します、と現場の人たちに言ってもらっていました。

上司(私)が、現場のクレームから逃げれないようにするのです。
逃げていようものなら、私自身がクレームの対象となり、そのう
ち管理職を更迭されるでしょう。

こうなるとクレームに真剣に取り組み、現場からのクレームは改
善の種になります。
それに優先順位をつければ、毎年、改善していくべき課題や問題
は無数にあります。
もっとも、大きな課題は部門間を横断するようなテーマとなる場
合があり、連携を取りながら事業計画に盛り込みます。

こうして改善をすれば現場から相応の評価がでてきます。
もちろん、すべての人が評価してくれるわけではありませんが、
着実に実践することで、現場業務がスムーズにおこなえるように
なればお客様に喜ばれ企業価値があがり、管理部門の評価は相応
に積みあがってきます。

お客様をイメージし、現場の声を大事にする。
不変の真理でしょうか。