小企業ほどメーカーから情報を聞き出せ

私はメーカーに在籍していましたが、転職した小企業はよい仕事
はしているようなのですが、売上があがりませんでした。
取引がある某メーカーの営業から、いい仕事してくれるので助か
ります、と言われていました。
また、その企業の経営者や社員ともフランクな付き合いができて
いたように思います。

ある日、なにげない会話の中から同業他社の話がでてきました。
その会社は、現場がないときは、全員で営業をしており、着実に
業績をあげています、と話してました。
また、メーカーとの関係がよく、メーカーが困ったことがあると、
だいたいそこに依頼するように上司から指示される、とのことで
した。

メーカーの担当者の話を聞いているだけで、その企業の経営姿勢
がみえてきます。
私は、メーカー営業から聞いたこの話をベースに全員営業をする
ことにしましたが、新規開拓の方法は独自に考えてやらなければ
なりません。
さすがに、営業ノウハウまで情報収集できるわけがありません。

メーカーの営業を大切にしておけば、メーカーの取引先は膨大で
す。
数々の情報をもっています。
小企業にとってメーカーとの取引は、自社の営業政策を考える上
で大きなヒントをつかめるでしょう。
メーカーの営業を大事にしておくことは、販促などもありますが、
情報こそがもっとも重要な要素です。
自社の行動原理をどのように作るかが、競争優位に直結するから
です。

小企業といえでも自主独立の気概が必要です。
メーカーは、メーカーに甘ったれる主体性なき企業を嫌います。
自社の責任で仕事をしていく企業には、多くのメーカーがサポート
していました。
このような企業は、販売促進でもメーカーを恫喝するのではなく、
あくまで協力してください、という姿勢を貫いています。
だからこそ、多くのメーカーが進んで協力していたように思います。
日ごろから謙虚な姿勢が貫かれていたのが特徴でしょうか。

製造業の在庫

食品や日用品に限ってみれば、東京から少し離れて住んでいる私
には東京都内(品川区や目黒区)でみる商品価格と地元でみる商
品価格に、同じ商品でも大きな価格差があります。
元々ありました、といったほうが正確でしょうか。
やはり生活水準が高い場所では商品価格は高く、私が住む場所で
は商品価格は低いようです。

もちろん生活水準だけではないと思います。
私のメーカー在籍経験でも東京23区が商品価格が一番高く、周辺
部へいくと、安くなっていました。
営業会議でよく議論になりましたが、メーカーの立場からすれば、
生産数量が絶対です。
製品価格を上げると、当然ですが、製品がダブつきます。
製品が倉庫の中にあっても倉庫代は積みあがります。
まして乳製品などはすぐに販売しないと、賞味期限切れになりま
す。

メーカーは、東京都内を避けて周辺部や地方で販売攻勢をかけて
いくことになります。
しかし、私が在籍した企業がそうだったように需要の伸びが期待
できない時代(人口減少や賃金の上昇が少ない)は、大手企業同
士の合併による生産設備の削減や人員削減をおこなう以外に手が
ありません。

近い将来、国内中心の業種では大手企業同士の合併などが、これ
まで以上におこなわれてくるでしょう。
今回のインフレがたちが悪いのは、米国などの金利の上昇で景気
過熱を抑えますから、円安によるわが国大手企業の利益増加は一
時的と捉えられ、企業は、これからはじまる景気後退に備えた対
策、いわゆる内部留保を考えながら経営のかじ取りをすることで
す。

賃金が継続的に上がっていく保証はどこにもありません。
生活者は、物価上昇と賃金上昇が少ない環境の中で生活防衛に走
ります。
国内中心の製造業にとってきわめて厳しい環境が続くということ
です。

国内販売を中心とした大手企業に覚悟がいる時代がきているよう
です。
国内の人口減少と円安による資材高騰、電力やガスなどの値上げ
と経営環境が厳しくなっていることは明白です。

地元では、一度は消えていた有名メーカーの商品が特売でちらほ
らみられるようになってきました。
製造業の弱点は在庫の積み増しです。
これが恒常的に発生すれば、メーカーは、東京などのエリアを避
けて目につきにくいエリアから販売攻勢(値下げ)をかけてきま
す。

日本国内ではこの繰り返しでなんとかやってこれましたが、これ
からの時代は、この繰り返しができないのではないか、と私は考
えています。
当然、国内需要に対応した生産規模や人員配置にしていくという
ことになるでしょう。
それをしなければ利益を生み出せない時代がきているということ
ではないでしょうか。

日本人は協力しない?

一昨日、テレビ番組の中で、仕事における協力について各国比較
がされていましたが、日本人は協力しないというような結果でし
た。
詳しくみていたわけではありませんが、私には驚きがありました。
どちらかと言えば、日本人は協力しながら仕事をしてきたように
思っていたからです。

確かに、私の極めて狭い範囲の経験だけですが、大手企業より、中
小企業のほうが協力関係がもてないところが多かったような気がし
ます。
常に、なにかの目を気にして仕事しているような?
経営者、管理職、同僚など。。。
また、徒党を組むなど協力よりは、自分をいかに守るか、といった
ことに注力していたように感じます。
当然、このような体質の企業は、私のようなタイプをはじき出しま
す。

そう言えば、ある企業では社員が個人事業主のようでしたが、私が
利益がどこからくるのか、ということと、いっしょになって新規開
拓をしたことから、全員で営業をかけ、みなで協力しながら仕事を
やることがいかに大切か体得してもらいました。
このような実践からしか、協力関係も納得も生まれないかもわかり
ません。

大手企業でも非協力的なことは、少なからずありますが、どちらか
といえば協力的に仕事を進めていこうとする人が、私のまわりでは
多かったです。
大手企業は、いろいろな意味で余裕があるからかもわかりませんが、
ギスギスした体質が少ないように思えます。

それにしても私がイメージした結果と違う印象なので驚きましたが、
現在の社会情勢や経済状況は、こんなところにも遠因があるのかも
わかりません。

私は比較的めぐまれた環境で仕事をしてこれたようです。
世の中をつぶさにみると、私が知らいない世界のほうが圧倒的に多
いということでしょう。

私のように協力的に仕事を進めていくことを前提にマネジメントを
考えているタイプは、人間の協力関係について、これからも学ぶべ
きことが沢山ありそうです。
人生や仕事は、課題の連続。。。

すべては人がベース

私は経営管理について執拗に書いていますが、書くだけでは机上
の空論です。
経営とは、なにが基本か、を考えればすぐにわかります。
「人」です。
世の中に多くいるのも「人」、少ないのも「人」とは、新将命さ
んの本の中にある言葉です。

経営管理ができていなくとも「人」がいれば、うまくいっている
企業もあれば、失敗する企業もあるということです。

なにをおいても企業の基盤は「人」なのです。
「人」がいなければ、経営管理など不要です。
経営管理を事業運営の中で体現できる「人」がいてこそ、社会の
中で事業を適正に成長させ、企業の継続的な発展を担うことが可
能となります。

なにをおいても「人」が経営の中心であることは間違いありませ
ん。
どのような人が必要か、経営者自身で解を見出すしかありません。
経営管理は、経営者をサポートする機能(黒子)だからです。

クレカのトラブルは少しやっかい

クレジットカードのトラブルにみまわれたことは、これまで一度
もありませんでしたが、今回はじめて利用がない引落がされてい
ました。
もっとも、利用したことがある企業ですから不正利用とは違うと
思われます。

クレジット会社へ電話で連絡すると、先ず利用したG社へ確認し
てください、と言われ、G社に連絡をとるところでつまずき、や
っとメールフォームをみつけだして内容を記載し、利用明細書の
コピーを添付して送付するも2週間音沙汰なし。
連絡がかえってきたと思ったら、G社では請求履歴がない、ので、
クレジット会社へ確認してください、と回答がありました。
いわゆるたらいまわし状態。

再度、クレジット会社からきたメールフォームへG社からの回答
内容を記載して返送。
2日くらいしてクレジットカードの作り直し(紛失・盗難)のメ
ールがきて、対象カードは利用できなくなりました。

私は、今年に入って該当するクレジットカード会社のシステムが
使いずらいということで、M社のクレジットカードへ公共料金や
電気・ガスといった引落を移管していました。
止められても、日常的な利用は該当会社の別なカードを使用でき
ますので問題ありませんが、公共料金などの引落が残っていたら
やっかいだったでしょう。

クレジットカード会社によってシステムの運用方法や管理メニュ
ーがかなり違います。
私はM社のシステムが一番よいと考えて、継続的な引落は、M社
へ移管しました。

ポイントだけでクレジットカードを利用していると思わぬところ
でめんどくさい事態が生じます。
これもリスク管理の一環でしょうか。
現在は、利用範囲を決めながら3社のカードでリスク管理を試み
ています。

残念ですが、該当するカード会社から利用の有無の回答はまだき
ていません。
デジタル時代は、いろいろなことが便利になるのですが、一旦、
トラブルにみまわれると、その後、かなりやっかいなことになっ
てきます。

私が、日ごろからセキュリティ投資(経費ではありません)をし
ておく理由がここにあります。

人との縁

私がここまでやってこれたのは、なんといっても人との縁でしょ
うか。
学生時代、会社勤め時代、少なからず私を支えてくれた人たちの
おかげで、今があると思います。
人との縁は、誠に不思議なものです。

縁は、自ら行動することで生まれます。
人との関係が苦手な私ですらそうですから、行動できない人には
縁は近づいてくれないのかもわかりません。

企業(経営者)との出会いを求めて行動しましたが、実際に良縁
に出会うことは少ないです。
それでも自分で行動しておくことは、人生において大切なことだ、
と私は考えています。
私はそれほど多くの行動はしませんでしたが、それでも行動しな
ければ良縁に恵まれることもなかったでしょう。

人生は、自分らしく行動するという努力を積み重ねることかもわ
かりません。

突き刺さるくらい痛い目にあう

先日、所要で横浜に行く機会があり、いつものように近くの高速
入口から道路へ入ると、いきなり渋滞にはまってしまいました。
次の出口ででればよかったのですが、たいしたことなかろう、と
考えたのが運の尽き。

わずか10㎞をなんと1時間半。
呆然として車内に取り残された感じでしょうか。
さらに車が動かない恐怖。
それにしてもトラックなどを運転して仕事をしている人たちは、
毎日、なんらかの渋滞にはまっているのでしょうが、本当に大変
なことだと思います。

生産性も上がらず、人間の精神的な負担は増大し、事故処理をす
る人たちにも多くの影響を与えています。
誰しもが、少しだけ余裕をもって活動できれば、とふと考えてし
まうのは、私だけでしょうか。

普段、道路情報をみてでかけるのですが、この日は、情報を確認
しないで高速道路へいってしまいました。
これまで一度もこのような経験をしたことがなかったのですが、
例えば、渋滞を確認すれば300㎞のところを500㎞かけてでかける
くらいの渋滞、混雑嫌い、今回本当に痛い目にあいました。

すぐにスマホに渋滞情報アプリをいれ、暇なときにみてみると、
同じ場所でしばしば事故があることがわかりました。
人生でも同じですが、一度や二度、自分に突き刺さるくらい痛い
目にあっておくことは大事なことのようです。

人間はよくできたもので、体が覚えてくれます。
次は失敗しないでしょう。
でも、新たな失敗が続くのが人間なのかもわかりません

心を軽くしておく

私はできるだけで心を軽くしておくようにしています。
理由は、心が重く感じられるときは、自分自身がうまくいってい
ないときだからです。
心が重たくなる大きな要素は、なんといっても人間関係でしょう
か。
このことが、私の人間関係を控えめにさせているようです。

心が軽い状態は、体の調子もよくいろいろなことがうまくいくよ
うな気がします。
だからでしょうか。
多くの人出や混雑する場所が苦手なのは、心が軽やかにならない
からでしょう。

世の中には、心をマルチタスクで動かせる人がいるようですが、
私の心はだいたいシングルタスクでしょうか。
私の不器用さともいえますが。。。

その点、犬との交流は、心が軽やかになる最高の友といってよい
でしょう。
私のようなシングルタスク型の心は、犬との遊びはとても心地よ
いものです。

私は人生をシンプルに生きたいと考えているタイプですから、心
の軽やかさは、もっとも重要なことだ、と考えています。
和顔愛語は、このような生き方にも通じるようです。

本は沢山読んだが?

私は数多くの書籍を読んできましたが、それが自分にどのように
生きているのかはほとんどわかりません。
仕事をしながら疑問に思ったことや感じたことを確認するように
読んでいたように思います。
おそらくですが、無数の書籍から自分の軸になる考え方や行動の
原理原則ができあがっていったようです。

今でも読み続けている本は3冊です。
それ以外の本は読んだだけで終わってしまいました。
それでもその本から自分の中へ入ってきた多くの言葉が、私を
成り立たせているように感じています。

本との付き合いは、仕事や人間関係で悩んでいるときが一番でし
ょうか。
真剣勝負で読むことができるからです。
だからこそ、自らの血肉になるのだと思います。

目の前の書棚には多くの本がありますが、やはり戦友のようなも
ので捨てるには忍びない、といったところです。
この頃は、真剣勝負する機会も少なくなり、本を読むことが少な
くなりました。
時間があれば読み返す3冊の本は、私を根底から支えてくれてい
る岩盤のような存在です。

人それぞれ自分が必要だと思ったときに、よき本との出会いがあ
れば、案外、人生を豊かにしてくれるのかもわかりません。

失言と失態ばかりだったような。。。

辞書によれば、「失言」とは、言うべきではないことを、うっか
り言ってしまうこと、「失態」とは、失敗して体面を失うこと。
また、面目を損なうようなしくじり、だそうです。
私はしばしば失言や失態をしてきましたが、失言は、自分で考
ていることが言葉になるようです。
意識しようがしまいが、日ごろから自分が思っていることは、そ
う簡単に変えることができません。

言葉や行動、あるいは考え方など、その人が生きてきたそのもの
ではないでしょうか。
むしろ、言うべきでないことは、社会的な秩序を学びながら社会性
を踏まえて自分の発言する必要があるなど、相当な訓練(学校や社
会でよくお勉強して)を受けておかなければ容易ではないでしょう。
私のように学校でも社会でもあまりよく勉強できていないタイプに
はなかなかむずかしいことでした。

しかも社会は急速にその秩序を変えようとしている今日、私のよ
うな人間にはかなりの苦労があります。
それでもなんとかやってこれたのは、私のまわりにいた優秀な一
部の先輩や部下たちのおかげです。
一部の年配者を除けば、若い人たちといっしょに仕事をしている
ほうが、よほど本音で楽しく仕事ができました。

私が、そもそも人間関係が苦手なのは、小学生時代の先生との会
話にもありました。
なにか、先生と生徒の関係に不自然さを感じるのです。
先生の言うとおりにする子が良い子。
なんだか、私には気持ちが悪いのです。

そのように感じている自分は、今日まで当時と同じ気持がずっと
続いていますが、社会からみれば失言や失態のオンパレード状態
だったでしょう。
だからこそ、あまり社会とかかわりをもたないのかもわかりませ
ん。
本質は、ただのめんどくさがりやだと、思いますが。。。