すべては人がベース

私は経営管理について執拗に書いていますが、書くだけでは机上
の空論です。
経営とは、なにが基本か、を考えればすぐにわかります。
「人」です。
世の中に多くいるのも「人」、少ないのも「人」とは、新将命さ
んの本の中にある言葉です。

経営管理ができていなくとも「人」がいれば、うまくいっている
企業もあれば、失敗する企業もあるということです。

なにをおいても企業の基盤は「人」なのです。
「人」がいなければ、経営管理など不要です。
経営管理を事業運営の中で体現できる「人」がいてこそ、社会の
中で事業を適正に成長させ、企業の継続的な発展を担うことが可
能となります。

なにをおいても「人」が経営の中心であることは間違いありませ
ん。
どのような人が必要か、経営者自身で解を見出すしかありません。
経営管理は、経営者をサポートする機能(黒子)だからです。

権力集中型では世代交代がおきにくい

いわゆるワンマン経営者が経営を担う企業では、世代交代がおき
にくいでしょう。
理由は、ひとりの傑出した人間の能力だけで企業が成長していく
からです。
部下は、経営者の指示に従うだけで考えることをしなくなり、経
営者以外は手足として動くことに専念します。
その結果、経営者以外の人間が考えることをしなくなり、責任感
がきわめて希薄になります。

私がみてきた企業だけでも少なからずそのような企業がありまし
た。
現在は、ほとんど存在しなくなりました。
もちろん、中には優秀だといわれる部下もいたようですが、大体
ワンマン経営者から去っていくことが多いようです。

一代で大企業を創業した人の能力を否定するつもりはありません
が、その能力が企業の組織化を阻むことにもなります。
そのような偉大な経営者からみれば、すべての人材が能力不足に
映るでしょう。

これが極まったのが、日本電産ではないでしょうか。
ことここに至っては、経営者が亡くなられること以外経営体制を
抜本的に変えることは不可能ではないでしょうか。
しかし、それまでのひずみがでてくるのも致し方ないこでしょう
う。

創業系でもソニー、京セラなどとの違いをみておく必要がありそ
うです。

会社を伸ばす人、自分を誇示する人

創業者には、二つのタイプがあります。
ひとつは、会社を伸ばすタイプ。
二つ目は、自分を誇示するタイプ。
およそですが、この二つのタイプにわかれるように思えます。

会社を伸ばすタイプは、会社へ執着しないタイプでしょうか。
いわゆる経営を第三者へ任せることができる経営者です。
人間はいずれ死を迎えます。
自分が永遠でない前提で経営を他人に任せることができるタイ
プ。

他方、経営を他人に任せることができないタイプは、自分を誇
示する傾向が強いようにみえます。
当然、他人がおこなう経営を信用しません。
常に、自分中心に会社をまわします。
業績が良いうちはこれでよいのでしょうが、業績が下落しだす
と、その後は大変なことになるでしょう。
また、経営者が亡くなった場合も、同様に経営的には業績が下
落するように思えます。

実際、過去このタイプだった企業は、その後、成長性云々が話
題にもなりません。

鉄は熱いうちに打てではありませんが、はやくから第三者の経
営者を育成しておくことが次の時代を築くと考えています。
また、可能な限り自社の社員から昇格させたほうがよいと考え
ています。
転職組でもある年数の社内経験があればよいのでしょうが、日
本企業のようにシステム化されていない経営では、外部からき
た人間がすぐに社長をやるということは、甚だむずかしいよう
に感じます。

今、ふたつのタイプの経営者をみることができます。
企業経営の歴史は、そこにあるのです。

弁護士の指摘も聞かない

弁護士の指摘も聞かない経営者は、少なからずいるものです。
私が在籍した企業の経営者でも同様なケースはありました。
結果は、経営破綻です。

経営者として仕事するのであれば、少なからず弁護士の指摘に
は耳を傾けるべきです。
そのうえで自分の考えていることを話し、アドバイスしてもら
うことができるかどうかが、有能な経営者と無能な経営者を分
けます。

法律違反になる場合は、犯罪ですから絶対に避けるべきです。
それでも自分の考えているようにやる場合、弁護士は顧問をや
めるでしょう。
そのような気骨がある弁護士を雇うことができるかどうかも経
営者の力量です。

物事は、素人が考えるほど簡単にいきません。
会計も同様ですが、そこにプロの目が必要になります。
プロの目と実務をつなぐのが、私たちのような実務型管理職で
しょうか。

企業の状況は、似ているようでもひとつとして同じものはあり
ません。
そこに実務型管理職の仕事の腕前が試されます。
だから、仕事はおもしろいのです。

わが家の夏は、犬もエアコン生活

わが家のミニチュアダックスマギーは、5才になり、元気いっぱ
いに毎日生活しています。
もともとダックスは、暑さに弱い犬のようですから、獣医さん
に夏はエアコンを入れてください、と言われています。

電気代は大変ですが、今年の夏の暑さは尋常じゃなかったよう
に思えます。
例年なら10時間くらいエアコンを入れていますが、今年は、18
時間ほどつけていたでしょうか。
夜間も相当な暑さでしたから。。。

犬の健康管理は、毎日気を使いながらおこなっていますが、子
供ともなれば気の使い方はそれ以上でしょう。
そんななかで通園するバスの中で熱中症で亡くなるなど、私に
は考えられないことです。
しかも、昨年も同じ事故があったばかりです。

人間社会は、もとからおかしいのかもわかりませんが、今だけ
をみてもなにかおかしくなってきているようです。
人間でも犬でも命を預かるということは同じです。
とくに幼い子供や犬は、言葉を話せませんから、かれらの態度、
行動から推測して健康や安全をみてあげなくてはなりません。

それだけ、人間が、幼い子供や犬に気がいくことが前提です。
こうも多くの人たちが気がまわらない環境とは、どのような環
境なのか、と思ってしまいます。

経営管理ができていない企業(園)では、このような事故にか
かわった社員(職員)は、法的責任はもとより、一生贖罪と向
き合うことになるでしょう。
企業(園)にかかわらず組織は、一つ間違えば恐ろしいところ
なのです。

私が、経営管理を声高にいう理由があります。

経営者の資質

私が経営者の資質など語れませんので、本日は、稲盛さんの言葉
をお借りします。

週刊現代
【抜粋】
今の日本企業は才覚のある人をリーダーとして重用します。私は
リーダーを選ぶとき、能力ではなく人間性や人格で選びます。能
力に多少の問題があっても人格のある人は努力をして成長する。
そういう人をリーダーに選んでこなかったことが、問題を引き起
こしているのではないか。

経営者は「儲けたい」「会社を大きくしたい」という我欲を起点
にしがちです。しかし、本来は「人間として何が正しいか」を起
点に置くべきです。自分の会社に都合がいいことばかりを選ぶの
ではなく、たとえ会社に不利であっても人間として正しい道を選
ぶ。

会社に聖人や君子がいれば、その人をリーダーにすればいい。し
かし、なかなかそんな立派な人は見つかりません。そこで多くの
会社では小人をリーダーにしてしまう。これが危ないのです。才
があっても人間性のない人は己の栄達のために会社を危うい方向
に持って行く恐れがある。長い目で見れば、小人よりは愚人のほ
うが成長します。
以上、稲盛さんの言葉

昔は、京セラも狂セラといわれていたようですが、人間は変わっ
ていくことができます。
どのような企業でも狂人的な人はいるようです。
私はあまり経験がありませんが、企業の成長とともに、経営者が
どのように変化するかが重要なポイントなのでしょう。

京セラは、稲盛さん亡き後も好業績を出していくようです。。。
お見事。

強烈な創業経営者

日本電産の永守さん、ソフトバンクの孫さん、ユニクロの柳井さ
んなどの強烈、猛烈型経営者は、後継者はできないと、私は考え
ています。
どのような経営者を連れてきても、所詮、サラリーマン経営者だ
からです。
創業期の経営次元が違いすぎます。

私が考える経営とは、普通の人間たちで普通以上の成果を出すた
めの仕組み、すなわち経営管理だと、考えています。
だからこそ、経営管理の仕組みを多くの従業員が体得する必要が
あります。

ソニーの創業者は、猛烈、強烈型でなく技術集中型と経営管理型
といえそうです。
もっとも、トップの下には強烈、猛烈タイプの部下がいたようで
すが。。。
ナンバー2には、このようなタイプが必要なのかもわかりません。
話を聞いただけで私はついていけないと思いました。
強烈の一言。

日本電産、ソフトバンク、ユニクロは、創業者がいなくなったと
き、どのように変化するかをみておく必要があるでしょう。
このタイプは、衰退する場合、現状を維持できる場合と二つのタ
イプにわかれそうな気がします。

退任する関さんも、孫さんが連れてきた役員を退任させたときの
ように相応な退職報酬を出してあげるようであればよいのですが、
無能のように放り出されただけでは浮かばれません。

この手のタイプの経営者と仕事をするには、かなりの覚悟がいる
のでしょうか。
私では、日本電産の社員も務まらいでしょう。